2011年 4月
暑さ寒さも彼岸までと言いますが、今年はまだ々寒く、桜は遅れそうですが、
言うまでもなく、この未曾有の災害に直面している東北の方達にとっては、
身も心も凍りつく様な寒さであろうと心が痛みます。
私たちは幸か不幸か阪神・淡路大震災を経験しています。
あの時の事を思い返せば、是が人事で無いのは誰しも判る筈です。
あれは純粋な天災でしたが、今回は其の自然の猛威である天災+人災とも呼べる
原発の爆発事故が重なっています。
想像を絶する様な天災の前には人の命や営々と築いて来たものなど、
まるで虫けらの様な存在でしか在りませんでした。是には成す術も在りません。
ですが、原発問題はこうなってしまうまでに危険信号は幾つも在った訳で、
そもそも施設の耐用年数自体が30年で建て替える・やり直すという約束だったそうです。
其れが今では40年経っています。
勿論その間技術の進歩があり、部分的には個別に手は入れてはいたのでしょうが・・・。
閑話休題、実際其れこそ命を賭して現場で働いておられる方達には頭が下がります。
其れを無駄にしない為にも“挙国一致”の精神は、未だに足の引っ張り合いをしている
国会議員達には無いのでしょうか!?皆さんも一番不思議に思う処だと思います。
原子力問題に精通したアメリカにも“もっとぶっちゃけたSOSをしたらエエやないか”と思いますが、
是も又その様にしてアメリカに助けてもらうと、其れに乗じて恩を着せられて、
是からもっとアメリカの言い成りになってしまうという国力綱引きの為に、
二の足を踏んでいると言う話だそうです。
命の掛かった世界的に注目を集めている大問題なんですから、緊急事態に鑑みて、
いっそ其の後の事は考えず頼るべきだと感じます。
世界の耳目が在る事ですから、アメリカもバカじゃないでしょう。
とんでもない事になるとは思いません。
アメリカに限らずフランスにもロシアにも世界中にSOSを発信すべきです。
この“SOSを言えない”という形には3通り在って、まず一つ目は気が弱くて言えない。
二つ目は“言うたらアカン、迷惑を掛けるから悪い”と思って言わない。
三つ目はプライドや意地や計算が邪魔をして、言いたくない。この三つです。
実際被災している人達は、2番目の気持ちが強いと思います。
特に東北の人達の辛抱強い・我慢強い気性と、出来るだけ人の所為にして怨んではいけないという
日本人の気質とが相まってだと思います。
それに対して原発の問題はまさしくこの三つ目の形に他なりません。
全てを捨てて、全てを踏まえて、一番素直に賢く、
揺るぎと間違いの無い判断をしてくれる事を願います。
形にすら出来ない大きな国難をこんな一個人の私がどうのこうのと言った処で、
仕方が無いと思いますが、乗り越えて行かなければならないこの日々に対しての心からの想いです。
この恩思恵の中で天災が起こる度にずっと私が言い続けて来た事でした、“我 大和の桜なり”。