2011年 5月
東日本大震災の事も相まって、今一人、々に何が出来るのか、今自分が何をすべきなのか
“may be ?must be ?”について悩んでいるという人が沢山居ます。
日本人のDNAには“惻隠の情”即ち、弱い者や可哀想な者に対して、
力になってやりたい出来るだけ助けてあげたい、という想いが在ります。
“判官贔屓”というのもそうです。
でも幾らそう心に想っても一個人で大きな事を動かす事は出来ません。
だからこそ余計にその無力感に苛まれるのかもしれません。
確かに抗う事の出来ない圧倒的な悲惨さを毎日毎日メディアが流し続け、
それに晒され続けていると、解っていても確かに気は滅入って来ます。
そのムードというか全体的な流れに“自粛、々”というのが乗っかって、
自ずと我と我が身を責めてしまうという事なんでしょう。
でもそうではない、有難い事に持てる者が元気を無くさず、普段通りに頑張る事が、
仮令直接ではなくとも助けるという事(相互扶助)にみんな繋がるんですよ。
それを踏まえた上で、其々の出来る事という質問ですが、
皆各々、複数のポジションの上に立っています。
社会人であり、父であり母であり、又親から見れば、子であり孫である、誰かの友であり知り合いである。
当然会社でのポジションというのもあるでしょう。
何時も言っている基本に“してもエエ事・したらアカン事・せなイカン事”この三つが在ります。
其処で、どれか一つのポジションからでは無く“最大公約数”と言えば解り易いでしょうか?
自分の立っている複数のポジションから照らし合わせて見て、良く考えてみれば
“ソレは要るけどコレはいらん、コレは出来るけどアレは無理”という冷静な取捨選択が出来る筈です。
自分の思い込みだけで生じた不必要なものが綺麗に落とされ、整理されて行くという事です。
ただ消費するだけでもいいし、百円の募金でもいい、もっと言えば“他人の痛みをわかる心”を持って、
貴方が元気で倖せでいる事、それだけでも十分なんですよ。
何も現地に赴いて、直截なボランティアをするだけが必要な訳ではありません。
今在るものに感謝しながら、変わりない日々を過ごしましょうね。