2011年 8月
今回のサッカー女子ワールドカップでの“撫子JAPAN”の優勝は、
世界には驚愕と、日本には歓喜を齎しました。
世界中の評論は負けた今でもアメリカの方が実力は勝っていたと言います。
勿論アメリカの自滅という部分もあるのでしょうが、アメリカのワンバック選手のコメントで、
“彼女たちには私たちの言葉を借りれば、ジーザスがついていた、神懸り的だった”と言っています。
何も魔術を使った訳ではありませんが、確かに日本選手全員が“一度も敗るとは思わなかった”
とも言っていました。
PK戦の前の円陣を組んだ日本チームは監督をはじめとして、これ又全員が笑っていました。
監督は戦う前に今回の震災津波の被災地の映像を選手たちに見せ、これを背負って戦うんだという、
ともすれば悲壮な決意を乗せたにもかかわらずです。
スポーツ選手たちは今年は皆全員その思いを秘めて“日本の為に戦う”と言っています、
プロ野球の楽天もプロゴルフの石川遼くんや、やっと優勝しましたが宮里藍ちゃんも。
処が、余りにもその意気込みや悲壮な決意が強すぎると、逆にソレがプレッシャーという
呪縛となって、本来の実力を発揮出来ないという結果にもなりかねません。
撫子たちとはどこが違うのでしょうか?答えは全てを受け容れた上での自然体です。
今回の結果を受けて、世の中はすべて“情熱があれば夢は叶う!諦めなければ必ず勝つ!”と
強気の舞い上りを見せていますが、実は澤選手が一番冷静にこの結果を受け止めていた様です。
私もそう思います。
ソレは“情熱が無ければ成功しない、だが情熱だけでは成功しない”この言葉です。
実力に関しては15才の時から18年間恵まれない酷い環境の中で下積みを重ねて来た事、
相手チームのコンディション、取り巻く人たちとの廻り合わせ、そしてソレが今年であった事。
そのすべてが奇跡的に一致した結果だと言っています。
例えば歌手になりたい、その情熱は誰にも負けないからといって全員夢は叶うのでしょうか?
決してそうではないのはもう既にみんな知っていますよね。
ソレと同じで選手たちも言う迄も無く、その情熱は全員が持っている筈です。
でも戦いの結果はソレとは別の処に在ります。
澤選手が言っているのは“スポーツは結果がすべてではあるが、
そこに到る為にはあらゆる努力と時間と関係がその一瞬の到達点に合致しなければ成し得ない”
“決して想いがあれば叶うなんて生易しいものではない”という
ある意味、第三者の俯瞰の目で見たとても冷静な言葉でした。
確かにポジティブな言葉には気持ちを高揚させる前向きな働きがあります。
しかし皆が皆そうなれる訳ではなく“その想いを心の内に秘め、其々の出来ることを頑張る”
ただそれだけでいいのです。
其処に結果は仮令付いて来なくても頑張った者たちの想いは必ず通じる“
よう頑張ってくれた、もう十分やで、ありがとう”と。
ですから“ねばならぬ”とキーッと肩に力を入れずに願った想いは必ず繋がる。
夢は叶うではなく“想いは通じる”だと思いますよ。