2013年 1月
新しい年になったのに去年の事を持ち出すのは恐縮ですが、毎年年末に京都清水寺の管長が、
今年の一字というのを揮毫しますが去年は“金”でした。
ご覧になって“何だかこの一年のイメージにはそぐわない”と
感じられた方も沢山いらっしゃった事と思います。
確かに昨年はロンドンオリンピックがあり、金メダルも取りましたが、
全体的にみてこのゴールドという雰囲気ではなかった様に私も思います。
そこで私が感じた処の去年の一字は“選”です。
年末12月の16日最後の最後まで衆院選挙があり、野田さんは“進むのか戻るのか”と訴え、
安倍さんは“突破するのかしないのか”維新は“壊すのか壊さないのか”と第三極も乱立し、
その昔小泉元首相が駆使した二者択一の理論を挙って振りかざしていました。
現に其の年の初めから原発はどうするのか?TTPはどうするのか?消費税はどうするのか?
復興はどうするのか?etc様々な諸問題に対して選択を迫られ続けていました。
そう考えれば去年の一字が選ぶという“選”であるというのもお分かり頂けると思います。
本来生きて行くという事は、選択の連続です。小さな取るに足らない身の回りの事から、
一生を左右する様な大事まで延々と其れこそ“君はどっちにする?”という岐路が続くのです。
そして選択する為にはまずしっかりと判断をして心を決め、そして実行しなければなりません。
そうでなければ何一つ前へと進む事はないからです。
処が人は往々にして“よう選ばん、考えたけどわからへん、よう決めらん決断するのが怖い、
そして最後は決める事は決めたけどようせん”などと選択・判断・決断・実行、全ての項目に
渡ってでも々と待ったをかけてしまいます。所謂自分が出来ない言い訳を並べ立てるのです。
それでは何一つ解決にはなりませんよね?
選ぶという字の中には“二つの己”言い換えれば二つの自分が存在します。
天使と悪魔とよく言われますが、してしまえという自分・やめとけという自分、行きたい自分・
自信がない自分、相反する二つの○と●の自分がいるのです。
そしてその下には共にという字があります。
どっちかに偏ってしまう事無く、両方等しく同じまな板の上に並べて考える。
次にしんにゅうは道という意味ですから道を決めるという意味なのです。
私の基本の教えとして、“此の世の中の事は全て陰と陽で出来ている”いつも言っています。
昼と夜、男と女、長短・高低・軽重・遠近・硬軟etc。人の気持ちにしても好き嫌い・合う合わへん・
落ち着く落ち着かへん・気持ちええ気持ち悪いetc。全て+と-がワンセットとなって存在しています。
勿論“だって人間だもの”ですから、当然好きやから○嫌いやから×という風に感情が先に立って
決めてしまうのは無理のない事ですが、物事の真実の中には嫌いやからこそ越えなさい、
苦手やからこそ頑張りなさいという場合もあります。
是こそが○●両方共に並べてしっかりと考えて見極めるという事なんですよ。
それがなければ、人は如何に野放図に“好きな事だけ好き勝手に”となってしまうか
そしてそれでは世の中が成り立たないかというのもわかる筈です。
本当の意味での“選ぶ選択する”という行為はまず“してもエエ事・したらアカン事・せなイカン事”
この三つを踏まえた上でするものだという事を解っておきなさい。
是が出来ていれば全て自分の意思で決める事ではありますが、
必ずあなたの其の選択は間違えのないものになるでしょう。