2014年10月
京都の五条に六道珍皇寺というお寺があります。
此処には平安時代の昔、嵯峨天皇官僚であった小野篁が境内の井戸を通って、
あの世と此の世を行き来していたという不思議な伝説があり、
今も冥府(地獄)の番人である閻魔大王をお祀りしています。
お参りする人は死んだ後、地獄に連れて行かれる事の無い様にお祈りしています。
人は亡くなると四十九日まで此の世に留まり、逮夜と呼ばれる七日毎の供養をします。
そして七逮夜、即ち四十九日の前に閻魔様に生前の行いによりお裁きを受け、
行く先を決められ此の世を離れて行くのです。
その時に行き先として“六道”という六つの世界が在り、
其の地獄と極楽の境の辻を“六道の辻”と言います。
其処でその“六道”ですが、
一、地獄界・・・此の心に常苦あり
二、畜生界・・・此の心に愚痴あり
三、餓鬼界・・・此の心に貪欲あり
四、修羅界・・・此の心に瞋恚あり
五、人間界・・・此の心に苦楽あり
六、天道界・・・此の心に常楽あり
地獄は常に苦しき事ばかりで浮かぶ瀬も無し、しかし其の苦しみは何処から来るかというと、
畜生はいつも足らず不足ばかりを愚痴という愚かな形で嘆き、人の所為にする狡い心。
餓鬼はあなたの心の中の人と分かつ事をせず何処まで行っても満足しない強欲な心。
修羅はいつも機嫌が悪く何をしても気に入らんという様に怒っている心。
此れら三つの“貪瞋痴”からに他なりません。
もし此の人としての愚かしい心を取り除く事が出来れば、又、生前に其れが出来ておれば
常に苦しむ事の無い楽な世界、即ち天道界(極楽)へ行けるのです。
でも其れはあくまで此の世を離れた後の話であって、
我らは今生きて人間界にいるのですから、
すべての事柄が楽で楽しくてという事などありません。
“苦楽”とある様にしんどい事とワンセットになって存在するのです。
例えば、経済苦・病苦・愛情苦などの苦しみがあり、
最近は特に自然の災害苦を被る事も多々あります。
そんな事を望みはしませんが、そうやって次々と苦労が来たとしても
負けずに何度でも立ち上がる強さを持つ事、
此れが人間界を生きて行く宿命だと思います。
考えてみれば“人間界”に生まれただけでも奇跡の様な事なんですからね。
感謝を忘れない様にしましょう。