2016年10月
人としてこの世に生を受けたからには、“何の為に生きるか?”
誰しも一度は考えた事があるでしょう。
勿論、一人一人違うでしょうが、大きく考えて“倖せになる為”というテーマに集約されます。
そしてその中にも二つあり、
まず一つは自分を取り巻く状況や環境の謂わば“自分の外の幸福”
二つ目は、何があろうと極力ブレない人格円満者である為の“内の円福”です。
節分に豆まきをして、“福は内、鬼は外”といいますが、
よく考えてみれば自分とこだけ良かったら外はどうでも良いのか?
なんて事にも取れますよね。
でも“世界平和”なんて大きな事を言うつもりはなくても、
最近世界中至る所で頻発しているテロを見るにつけ、
又国内での天災遭遇の度、皆誰でも“外の倖せ”を願わずにはいられません。
とてもじゃないですが、“鬼は外”なんて思いませんよね。
これは、普段は“人格円満者”なんて宗教家でもないのにムリ!
他人の倖せなんて願っている余裕なんて無いわ。
自分ん家の事で精一杯!と思っている人でも、
こんな場合不思議な事に“外の福と内の福”この二つが同時に達成出来ているんです。
そしてそう思えるあなたは実は自分が倖せである事に気が付かなければいけません。
綺麗事を言うつもりはありませんが、何もそれ程金持ちではなくても、
偉い名誉名声がなくても、仮令、貧しくても生きていられる事の幸福をです。
そこで初めて
“そんなんに比べたら、こんな事にグズグズ言うとったら恥ずかしい。バチが当たるわ”と
人は恥を知るのです。
これを“識羞”と呼び、生きていく上でのこれも又大事な要素なのです。
足るを知る心“知足”が正しくそれで、足らず不足・不備不満
“あの人がこうやから、この人がこうやから”等とできない理由を数えて
言い訳にするのではなく、じゃその中でどうすれば良いかを考えなさいという事です。
誰でもそうですが、不満と不足は不安を呼んで、
不安の心配と愚痴はその物事や相手に対して不信を呼んでしまいます。
信じられなくなってしまったら、その物事や関係性を続けて行けなくなってしまいますもんね。
そうならないように賢い考え方をする為のメンタルコーチなんですよ。