2017年 2月
“鬼は外・福は内”の節分を過ぎて、新しい春へとなって行きますが、
皆さんは其々何が自分の中の福なのか?判っていますか?
福というとイメージとしては、金運に恵まれるとか、何か直接ご褒美やエエ事が来るとか、
そんな直接的なものとして捉えますが、ここで言う“福”は、あなたの中の才能という意味です。
昔から“天は二物を与えず”と言います。
という事は、誰にでも最低一つは才能という福を与えているのです。
それがどの方面での事なのかは、それこそ人によって違います。
美貌であったり、カッコイイスタイルであったり、見た目に依るもの。
学力や頭脳という、頭の良さに依るもの。
スポーツの何かに秀でたもの。
音楽や美術などの感覚的なセンス。
そしてその人が醸し出す柔らかさや優しさや爽やかさや、逆に強さ・逞しさ・頼り甲斐など、
人としての力。
ざっと数え上げただけでもこれだけ沢山出て来ます。
今は兎角、学力のみがその人のポジションを分ける物差しになりがちですが、
昭和の昔は、仮令お勉強が出来なくても、走りが早いで運動会でヒーロー・
ピアノだけは弾けるねん・虫の事聞いたら何でも知ってる・
何かしら絵や漫画がムッチャ上手やねんetc・・・。
一芸に秀でていれば、その子の値打ちであり、十分なアイデンティティ・存在価値がありました。
“これだけは自信あるねん”という一本の柱があれば、それが芯となって
仮令何かがあっても下手にぶれる事なく、揺るぎない自分自身をキープ出来るんです。
そこに過不足なく正しい形で
“まあ、しゃあないやんな、又チャレンジしたらエエねん。何とかなるわ”と思えるんです。
ある大学の教授が言っていましたが、一般の大学生は自分が何をすべきかが見えなくて、
先を憂いて悩んでいる。所謂元気が無い。
だからその反面刹那的な享楽に走る。
それに対して外大と芸大の学生は、ものすごく前向きで元気だ。
それは何故かと考えた時、大学に入った瞬間から彼らは悩む暇などなく、
自分の専攻した物を脇目も降らず習得に励まなければならないからだ。
そしてそれが一芸というその子の芯になって行く。
その柱があれば、自信となって応用力も生まれて来るらしい。
人の評価も大事ですが、自分が自分で自分を評価できる・認められる物を一人一人が
探して行きなさい。
ちょっと自画自賛であっても構いません。
あなたの中の“福”は何かを見つけて、もしそれがまだちょっと足りなかったら、
努力と学習も重ねてみなさい。
それが解ればきっと嬉しい自分になれますからね。