2018年 1月
新年おめでとうございます。
これからは、天皇陛下の生前退位をはじめ、AI(人工知能)の台頭など世の中は絶えず
変化していますが、今年も又、皆さんにとって健やかな一年となります様、祈っています。
只その為には、日々変わって行く事象の中で、自分にとっての賢い選択が求められます。
又、それを持っていなければ、ただ流されるだけにもなってしまいます。
その自分にとっての賢い選択というのが、あなたにとっての真実になるのでしょうが、
どうも最近その意味と使い方が、間違っている様な気がします。
これは前にも書いた事ですが、人が生きて行く上でとても大事な3つの実があります。
それは、“真実”と“事実”と“現実”です。
何だか似ている様にも思えますが、其れこそ実は全然別の物なんです。
最近はその中の“真実”だけが突出して、其れこそが一番大事な物であり、
世の中で真実だけが唯一無二の物という考え方の流れがあります。
名探偵コナンも“真実はいつも一つ”と言っていますから。
しかし、その考え方はとても情緒的な物で、感情に支配された物である事に
気が付かなければいけません。
何故ならば真実というのは一人一人のその人にとっての物であり、
前にも言いましたが、真実は人の数だけ在っても不思議ではないのです。
真実は価値観とも言い換えられますから、其れが同じ人も居るでしょうが、
やっぱり価値観は其々別々です。
例えば、人生において何が一番大事かという問いかけに対して、
或る人は愛情だと言い、別の人は仕事だという。
そして又違う人はお金だと言うかもしれない。
これらは全てその人にとっての真実であり、
どれが正解でどれが間違いというのではないのです。
そこで、誰が見ても・誰が考えても唯一つしかない揺るぎ様のない物こそ、
今自分の目の前に現れている事実なんです。
その事実は、ひょっとしたらあなたの頭で描いた真実とは違うかもしれないし、
望んだ形ではないかもしれません。ほらこの様に真実というのはあなたの望む形なんです。
それに対して、事実というのは或る意味冷酷で、あなたがどんな真実を持っていようと
謂わば出て来た結果なんですから変えようがないのです。
幾ら嫌だと言っても其の目の前の事実を受け入れるしかないのです。
そしてしっかりと冷静に受け入れた上で、次に来るのが現実です。
現実というのは、思い描いた真実ではなくてもその事実を踏まえて、
じゃあどうすれば良いか、より良くなる為にはどうすべきかを考えるという事なんです。
ちょっと乱暴な言い方かもしれませんが、其々の真実は妄想の中から出て来た産物です。
他の人から見れば、おかしいと思う様な事であったとしても、
その当人が何の疑いもなく信じ切っていればそれは真実になるのですから。
そうではなく、生きて行く上で本当に大切なのは、
“事実認承”とその後の“現実把握”なんです。
決して自分の真実だけを追いかけて、恰もそれを“神”の様にしてしまってはいけませんよ。