2019年10月
日本人の特性として、みんなと同じでと言うか、
自分だけ勝手をする訳にはいかないという、協調性を美徳とする処があります。
その昔の幕府の時代から近代の軍国主義は言うに及ばず、決められた枠組みや形に
嫌であれ何であれ従っておく方がなりがない。生き易い、安心するって事なんでしょうね。
でもその時代から何百年も経った今、人の価値観が同じ形であり続けるかというと
決してそうではありません。千差万別の時代になりました。
仮令、状況がどうあれ今の若者が香港で抗議デモをするのも、
国連の気候行動サミットでスウェーデンの16歳の少女がハッキリと意見を伝えて、
大人達に迫るのも、決して事勿れ主義の団体行動賛美ではなく、
仮令人と違ってもソレが自分勝手であったとしても、
怖れない、自分を信じるという形に変わりつつあります。
それに比べて日本では、未だに空気を読む・読まないが問題になっていますが・・・。
そこで日本人が本当に嫌がるのは“自己中”であって、“自分勝手”ではないのです。
この二つは同じ意味の様に捉えられますが、実は根本的に違うんです。
“自己中”と言うのは、常に自分が仲間や物事の中心にいて、
自分が定めた事や自分の存在に、周りが全て賛同を送って欲しい。
言い換えれば相手にも自分と同じである事を求めるのです。
それに対して“自分勝手”は、確かに人が右へ行く処を左へ行くのかもしれませんが、
自分はこれが好きだからこうする。
だからと言って別に人が自分と同じでなくても構わない。
所謂、賛同を求めないのです。
今ベストセラーになっている樹木希林さんの本の中にも
“自分がケチだからと言うのもあるのかもしれないが、
友達の死んだ旦那のいっぱい残っている、サラの下着を全部もらって、自分が履いている。
だから私の下着はゆるゆるで前が開いているのよ。
人は格好悪いとか何かがあった時恥ずかしいじゃないと言うけれど、
私が良いんだからそれで良いのよ。
自分勝手が一番いいんじゃない?”なんて言っていました。
只、自分勝手を貫く為には、其処から生じるリスクをちゃんと受け止められるか、
下手に傷付かない覚悟があるかどうかが問われます。
それさえあれば、まあ勿論最低限のTPOは踏まえた上で、
自分勝手にいる事が出来れば良いと思います。
娘の也哉子さんに残した遺言は、
“驕らず、人と比べず、おもしろがって、平気に生きればいい”
だったそうです。
ずっと前から私が言い続けている恩思恵の本質、
“決して恨まず、誰も怨まず、人と比ぶるにあらず、だからよかったと考えて
ニュートラル・ナチュラル・フラット・クリアな心でいなさい”
と正しく同じだなと感じました。