2020年 9月
皆さんは“六根清浄”という言葉を聞いた事がありますか?
これは仏教のお経の中にも出て来ますが、古来神仏混合であった日本では、
神道の御祓いの祝詞の中にも出て来ます。
仏教は六世紀に入って来ましたが、古事記・日本書紀などの神話ではなく、
宗教としての神道は、十五世紀、室町時代の応仁の乱の頃に、
仏教・儒教・道教・陰陽道などを巧みに織り交ぜて、作りあげられました。
ですから神道は日本独自のオリジナルの様に思いますが、
そこには色んな教えやエッセンスが取り入れられているのです。
六根清浄というのもその一つで、
六根というのは、人が認識を起こす根源として、
“眼・耳・鼻・舌・身・意”これら六つを表します。
その六根の汚穢(おわい)を祓い清めて清浄にする為、
神道の六根清浄大祓の祝詞があるのです。
“人も神から授かった万物の一つであり、静め謐まる事を旨とせよ。
目に諸々の汚れをみても、心にその不浄を見ず、
耳に諸々の不浄を聞いても、心に不浄を聞かず、
鼻に諸々の異常を感じても、心に不浄を満たさず、
口から諸々の不浄を出しても、心を不浄に染めず、
体に諸々の不浄を溜めて、心を病まず、
世の全ての不浄に対して、我が心根は常に清く立つ”
分かりやすく言えばこういう法華経から作った祓え清めの詞です。
今年は特にこんなイレギュラーな年になりましたから、
そこから派生する諸々の不安・不満・不信・不寛容などが蔓延し、
この六根清浄の様に身も心も祓えたまえ、浄めたまえという訳には中々行きませんが、
逆に言えばこんな時だからこそ、私がもう何十年もずっと言い続けている
ニュートラル・ナチュラル・フラット・クリアーな心
というのが如何に大事かがわかる筈です。
“ああそうやな”と人から影響を受ける事があったとしても、
最終的に自分の心をクリーンにするかしないかは
貴方自身なんですからね。