2021年2月
今年は、節分も立春も一日早く来ましたが、はたして待ち望む世界の春は来るのでしょうか。
嬉しい気持ちで桜を見上げる事が出来れば良いのにと切に願っています。
人は大切な事は、何かが起こってからでしか気付けないという話があります。
地震・洪水etcをはじめとする天災もそうですが、この言葉を聞いて、
私は一昨年に立て続けに起こった
パリのノートルダム寺院焼失と沖縄の首里城焼失を思い出しました。
何事に対しても記憶は日々薄れて行きますから、
コロナが起きた時にこの二つを結び付けては考えませんでした。
しかし今回、大学共通テストの国語問題にこんな文がありました。
“中世に於いて妖怪の出現(私は本来ありえない出来事と解釈します)は多くの場合、
凶兆としてとらえられ、それらは神仏をはじめとする神秘的存在からの警告であった。
即ち妖怪(この出来事)は神霊からの言葉を伝えるという意味で、
何らかの意味を帯びた記号として存在していた”との文を読んだ時に、
先程の“人は大切な事は、何かが起こってからでしか気付けない”というのと、
突然リンクしたのです。どちらの場面でも人々が泣き崩れていた意味も含めて。
考えてみればおかしな事ですよね。
いくら漏電や工事の火の不始末とは言え、どちらも世界中の宝である世界遺産なんですよ。
民家の火事とは訳が違うんです。
ヨーロッパ中で起きたISに依るテロは、信仰が裏にあるとは言え、
あくまで人が起こした意志に依るものです。
でもこの二つの焼失は何だか先程の例文そのままの様な気がしてなりません。
本来人には三つのセンサーが備わっています。
頭で解る・・・知識。 身体で解る・・・感覚。 そして心で解る・・・気付き。これらの三つです。
今回は最後の心で解る気付きの様な気がします。
であるならば、僕達は何をすべきか、どうあるべきかを考えなくてはなりません。
“もしという言葉は虚ろ。もしは無い。人生はあなたに一度、私に一度”
こんなコトになってしまってではなく、こんなトキだからこそ新しいチャレンジが出来た、
今まで出来なかったコトが否応なしに時間の余裕が持てた事で、出来た。
ならば自分に今何が出来るのか、今をどう生きるのか。
人と人との距離の分断と孤立の重さにキャパオーバーをしてしまわぬ様、
如何に三つのセンサーをフル活用して、あなたにとっての真実を見極めて行ってください。
一点の曇りもなく、クリアな気持ちになるのは中々難しいかもしれませんが、
私にも出来る、あなたにも出来る筈ですからね。