2022年8月
時代と共に変わって行くモノと変わらないモノ、
いつも両方あって、どっちも大事なんです。
この間自分で呟いてみて気が付いたんですが、
“コレって変かな?”と言った言葉が頭の中で、
“コレって変化な!”に変換したんです。まるでメールの誤変換の様に。
物事にいつも・いつまでも・ずっと正しいなんてなく、
まず今のこの状態を疑う所から始めないと変化はないんですよね。
ずっと変わらない象徴で“老舗”なんて言いますが、
京都のお方は、“はっ100年?まだ毛も生えてぇしまへんなぁ。
うっとこは先の戦の後からですよって、
まあ長いんどっしゃろな”と言う。
“第二次大戦やったら80年程やし、維新前の鳥羽伏見?”って訊くと、
“いいやいな、応仁の乱の後やよって、ざっと500年程やろか”とシャラーっと。
“室町時代の1467年やから、そうなるわな”とびっくりの納得。
でもまあこれは特例としても、100年以上の所謂“老舗”は幾らでもあるが、
じゃあコレが何一つ昔と変わらずそのままかというと決してそうではなく、
時代に合わせて絶えず進化と新化している。
人も同じだと言う事です。
変わりたいなら・変わろうとするならそこで“コレって変かな?”から始めましょう。
世間の又は自分の常識に沿った意見しか持っていない者や、
持とうとしない者、そして自分の存在や考え方を疑った事がない者には、
進歩がないし、そこに変化もありません。
世の常識と、今の自分の価値観にその都度寄り添いながらも
自分の正しさを、そして自分の常識を常に疑い続ける事が出来る者だけが、
大人になってからも人間的に成長し続けられるのではないかと思います。
もしあなたの思う常識がこの場面でも正しいのなら、
それほど躍起になって主張しなくても、結果はその様になるだろうし、
もしならなかったら、腹を立てて恨まずに、
“まあ今回はそういう事やな”で収めて、スルーしておきなさい。
物事もある程度まで考え抜いたら、それ以上はまだ分からない
不確定な未来のコトをあれこれ考えて悩んでも仕方がありません。
時間さえ経てば、人もその周囲の状況も、世の中も変わって行く、
その状況に応じて、又、その時になって考えてみれば、
意外と容易に変化の答えは見つかるものなのかもしれませんよ。