2023年11月
これは、10年も前に私が書いていた恩思恵の改めての焼き直しです。
何だか今もちっとも変わっていないなと感じ、取り上げてみました。
SNSが当たり前になった今、“自己肯定感”や“自己承認欲求”と言う言葉が、
よく取り沙汰されています。
これらはどれもとても大事なモノですから、無いと困りますが、
高すぎても低すぎても、又、強すぎても弱すぎてもダメで、
如何にそのバランスを取るかなんです。
そこで、何かあると直ぐに“私なんて”とか“私なんか”と言う人がいます。
あなたがそうであっては困りますが、周りには必ず一人はそれが口癖の人がいる筈です。
“いえいえ私なんてまだまだですよ”と只単に賢く謙遜出来る人はとても爽やかですが、
本当に自己否定が過ぎて自信が持てずに、“私なんか絶対幸せになられへんねん”などと、
根深い闇に嵌ってしまっている人は、その本人が心の扉を開かない限り、
どうしてやる事も出来ません。開きさえしてくれれば、過去に遡って、
その思いが一体いつからなのか、そもそもきっかけはなんだったのか、
その原因に遡る事は出来ます。
これまでも何人もの人に対して、セラピーをしてきました。
ですが、これはあくまで私が長い間、積み重ねて来ている専門分野でのお話です。
ここで問題なのは、只“そんな事ないよ”と言って欲しいが為に、
常に“私なんか・私なんて・・”と言っている人です。
そう言われると人間関係に波風を立てたくないので、“そう言うて欲しいんやろな”
と言うのが仮令見えたとしても“そんな事ないよ”と一応励ます。でもまた言う。
そこで、その図式が判ったならばもう止めて、
“あらそう”“ふぅん、そうなんや”とだけ返しなさい。
でもやはり“そんな事ないよ”と言われ続けたい・言われて安心したい
という思いが消えず、その都度自己確認をする為の“私なんて”でしかないのです。
イイネをもらえないと安心出来ないというのもそうですよ。
そんなやり方でしか自分の事を確かめられないのは、とても悲しい事だし、
又相手を疲れさせている・ウンザリさせているという事に気付くべきです。
いつもニュートラル・ナチュラル・フラット・クリアーである事が大事だと
言っていますが、それは相手や物事を見る目に対してもそうだし、
逆に自己評価をする目に対してもそうあらねばありません。
今回取り上げた様なそんな相手を通してでしか確かめられない、
周りくどい自己評価は止めておきなさい。誰の為にもなりません。
それと同時にこれはいざという時に“出来ない自分の言い訳の予防線”を
張っている事にもなりかねません。
何でも物事を行動に移す時には、誰だって勇気とやる気と努力が当然要りますが、
“私は出来る・私には出来る・私だからこそ出来る”と信じなさい。
それこそ“清水の舞台”を飛び降りるか・飛び降りないかはあなた次第なんですからね。