2024年2月
哲学者の岸見一郎さんの「老いる勇気」という本を読んで、なるほどなと思い、
いつも感じている事ともリンクするので、私の意見も交えながらここに纏めてみました。
人は追いかけて幸福になるのではなく、幸福である事に気付く事で、幸福になるのです。
と書かれています。何だか禅問答の様な気もしますが、幸福は力でもあり、
あなたが幸せだと感じていると、自ずから外に現れ、他の人をも幸福にするというのです。
それでは幸福がどの様な形で外に現れるか?それはたった3つの事なんです。
1.“機嫌がよいこと”です。弾ける様に上機嫌であるというよりも、
穏やかでいつも気分が安定している状態を指します。
生きていればそりゃ嫌な事もあるが、その事に心を奪われて不機嫌を露わにしても、
事態が改善する事はない。
倖せな老年を望むなら、まずは毎日を機嫌よく迎え、機嫌よく過ごす。
2.“丁寧である・親切であること”です。何かに対しても人に対しても、
いつも丁寧に対応していますか?
おざなりな対応や、態度や口調もぶっきらぼうになっていませんか?
余程の事が無ければ、自分の時間をちょっと譲るぐらいの気持ちで、
求められた事に対して出来るだけ丁寧に対応する努力をしてもいいのではないですか。
3.“寛大であること”です。自分とは異なる考えや価値観を持つ人を受け入れる。
過度な同調でも否定でもなく、少なくとも互いの違いは違いとして受け止めた上で、
理解しようと努めるということ。相互共存です。答えは何も一つでなくていいんです。
これら3つの“倖せであるとはこういう事ですよ”というのを理解出来れば、
“我々は我々の愛する者に対して自分が幸福であること以上の善はない。
自分が幸福であることが最大の他者貢献である”とも言っています。
一体いくつから老いと定義づけるのかは判りませんが、老いて尚、
日々機嫌良く丁寧に暮らし、親切で倖せそうにしていると一緒にいる家族も倖せであり、
その上寛大な心を失わずにいれば、孫から相談があったり、又周囲の人からも、
“あの人に相談してみようかな”と思ってもらえるジイバアになる。
これも倖せな老いの在り方の一つかもしれません。
“そうか、あんな風に生きていると倖せなんや。あんな風に歳を重ねて行けるなら、
歳を取るのも悪くないな”と感じられる様なモデルになりましょう。
自ずから外に現れて、他の人を幸福にするものが“真の幸福”なんですよ。
これらのことを考えていて、まだ73歳という若い年齢で、年末に急逝した
八代亜紀さんの“昭和の歌など聴きながら”という歌の歌詞を思い出しました。
“他人を妬まず 羨まず 心豊かに 朗らかに そんな人生送れよと
父さんあなたは言っていた”
“自分を驕らず 慎ましく 涙は静かに 清らかに そんな女で暮らせよと
酔う度あなたは言っていた”と・・・。
何だか心に沁みてじーんとしてしまいました。
安らかにと願います。