2025年5月
大人にとっては誰しも思い当たる実にあるあるで、子供にとっては本当に、
素直な気持ちと、疑問の発露なんでしょう。思わず笑ってしまいました。
一体何のこと?と思いますよね。実は小学5年生の子供の詩を見つけたんです。
『“遊園地行きたい”“またな”“ゲーム欲しい”“またな”“靴買うて”“また今度な”
お母さんとこんなやり取り百回くらい。いっつもそう大人の“またな”はもう信じない。
だけどもしかしたらといつも期待してしまう。』こんな詩です。
はっきりとダメ!とは言わない大人のズルさと、親の事情、どっかで“アカンやろな”
と思いながらも、ひょっとしたらと毎回思ってしまう子供の諦めと期待。
大人びているようで純粋な子供の眼と心が見事に浮き上がって来ますよね。
“そういえば子供が小さい頃、同じこと言うてたわ”と、
今はもうオッサンやオバハンになっている我が子らの昔に思いが飛びます。
子育て中の親は、とにかく忙しい。
応えてやりたいという思いはあっても、日々のルーティーンに忙殺。
“お母さん忙しいねん。出来ひんわ、ムリやわ”と頭から否定してしまわずに、
“またな”はせめてもの親心で、その内忘れてしまうねんけど、
心の中ではゴメンなの気持ちがあるのです。
その反対に、子供も“勉強しいや”“明日から”“片付けなさい”“明日するわ”
“ゲームいい加減にしなさい!昨日分かったって言うとったやん”“明日から”
“ダイエットする言うてたやん”“ウーン明日から”etc。
親の“またな”に対して、子の“明日から”これもあるある。
“一体アンタの明日はいつ来るのん?”ってぐらい。
永遠と言っていい程、ほとんど来ない。
なのに終い目には“うるさいわ、ウザイねん”て“アンタ誰に言うてんのん!”
オニババVSクソガキ。
時は変われど、この永遠の構図、親と子、
そのどちらにも心の底に愛があってこその関係です。
でも親はいつまでも居ませんよ。
願わくば、“またなと明日”に心残りをせぬように、
今出来ることはちゃんとしておきましょうね。