2007年 2月
昔から風評・風聞というのはあり、兎角、人と言うのは噂が好きな生き物で、
特にソレが直截自分に関係の無い他人の不幸や悪口、又は悪い出来事であるならば、
“悪事千里を走る”ではないですが、そりゃ速いスピードでまるで伝言ゲームの様に伝わります。
これで解るように、伝言ゲームと言うのは初めに伝えた言葉が最後の者に伝わる頃には、
尾鰭が付いて、とんでもない内容になっていたりしますよね?
そこに伝える者は、仮令意識をしていなくても、
“無意識の悪意”というスパイスを振り掛けているのです。
2chなどと言うサイトもその代表です。
現在は、テレビを始めインターネットなどのマスコミが発達していますから、
昔は、一人々に伝えていたのが、何処に居ても、誰でも、瞬時に際限なく伝わってしまいます。
大事な事は、その一斉送信された情報をしっかりと考えることもなく、
鵜呑みにしてしまわない、という事です。
穿った見方をすれば、発信者が其処に自分の意思と意見を加え、ミスリ-ドする恐れもあるのです。
それが仮令、多分皆が全面的信頼を置いているであろう新聞であったとしてもです。
テレビに於いては、何をか言わんやで、最近は“あるある”が発覚していましたが、
そんなものは氷山の一角でしょう。
良い事や、仮令人の事であっても“嬉しい事”はいくら拡がっても其処に罪や被害は生じませんが、
鳥インフルエンザ・ノロウィルス・不二家を始めとする賞味期限切れ問題等、
ひとつ発覚すると全国一斉に、まるで集団ヒステリーのように吊るし上げる。
何だか自分だけは高見の見物をしながら、魔女裁判をしているが如くです。
企業の慢心や隠蔽体質は、罰せられるべきではありますが、
全部が全部ソレを口にしたからと言ってどうにかなってしまうものではありません。
そういった形のない・目には見えないモノが、歪んだ流れを作ってしまう危険性を、
この頃特に感じます。
日々巷に溢れる膨大な情報に振り回されるのではなく、
その中の何について自分自身はどう判断するのか、そしてそれにどう対応すべきなのか、
謂わば一人々の“取捨選択”を、今こそしっかりとしなければなりません。
仮令ソレが事実であったとしても、ソレに対して何を感じるかは千差万別であり、
全員が右へ習えする必要はないのですから。
“物事を見極める眼”をちゃんと持っていたいものですね。