2011年12月
想像を絶する天災と人災に見舞われた今年最後の恩思恵を書くにあたって、
どうしてもこの文が浮かんで来ました。
是は2010年1月の恩思恵で書きましたから、見た事がある人もいるでしょうが、
あの東北大震災を経た今、まるで予言していたかの様に思えます。
通り一遍の慰めや形だけの頑張れ論を唱えた処で、一人々の傷を決して埋める事は出来ません。
もっと大きな、日本人である事の品格と誇りを持った上でのアイデンティティ(存在意味)に
触れるものでなければ心に響かないと考えた時に出てきたのがこの文言でした。
起きてしまった事、過ぎた時は幾ら悔やんでも二度と元には戻らない、だから決して恨むなかれ。
其れを誰かや何かの所為にして怨んで憎んで罵った処で決して心は報われない、だから誰も怨むなかれ。
そして大切な物を無くした後で、人から貰った言葉や行為で、
心の底から“有り難い”と思えた事もあった筈、だから恩だけ胸に刻みなさい。
其の感謝を相手に伝える為には少なくとも自分がいつまでも下を向いてはいけない、
仮令苦しくとも悲しくとも顔を上げて、だから前を向け。
世界中に激震を齎した報道の後で、冒頭に挙げた“日本人の品格と誇り”が、
其れこそ世界中の人々から畏敬の念を持って絶賛されました。
何も其れを受けてただ単純に頭に上る訳ではありませんが、やはり其の根底には
“我 大和の桜なり”の精神があり、いつまでもくよくよと過去を引き摺り、散った花を惜しむのではなく、
次の花をきっと咲かせる其の為に、いっそ潔く明日に向かうということでしょう。
ブータンのワンチュク国王の言われた“一人一人の心の中に住んでいる龍は、様々な経験を糧として、
強く大きくなっていく。この経験を忘れる事無く、皆も強く優しく逞しくなって下さい”
この言葉の様に決して無かった事にするのでは無く、是が在ったからこその新しい形を
作り上げていく事は必ず出来る筈ですから。
日本人一人一人の大きな平和という“大和の桜”を咲かせる為に