2017年12月
何を願っても・望んでも、中々思う様にはならない。
“もう辞めじゃ!”と思ってしまう人も多いと思いますが、
発想を形にする為には、只思っているだけではダメです。
真剣に・実際に、ソレをするかしないか、其処に掛かってきます。
あなたは本当にやってみましたか?
これ以上頑張れない処まで努力しましたか?
大抵は恐らく其処まではしようとせずにもう結果を予測して
愚痴っているのだと思いますよ。
やってみて初めて前へ進むんです。
“でもそんなん、上手い事行くかどうか解れへんやん”と思いますか?
たった一度で全ての事が上手く運ぶと思いますか?
決してそうではありません。
今、放映されている「陸王」というドラマでもそうですが、
そのシューズ開発をする為に、何度も何度も試行錯誤を繰り返します。
一回で出来ない事を決して怖がらない・恥だと思わない・恥ずかしがらない。
ドリカムの「何度でも」の歌で
“1万回ダメでヘトヘトになっても1万1回目は何か変わるかもしれない”
という歌詞がある様に、未来の自分は今のあなたの行動によって変えられるんだ
という事を理解しましょう。
勿論、これは極端な例えで、本当に1万回せなあかんという事はありませんが、
本当にやりたい事があるのなら、それぐらいの想いを持って事にあたりなさい、という事です。
生きておれば、いつ激流に呑まれる様な事が起きるかなんてわかりません。
そして、その激流には、天災を始めとする嫌でも巻き込まれてしまうものや、
人間関係に於いても起きる理不尽な事、そして突然の発病など抵抗出来ない外から来る激流と、
それを受けて人の心に派生する虚無感や諦めや又は怒りや憎悪などという二次災害的な、
内から来る激流との二通りがあります。
その時に感情に流されるのは寧ろ簡単なのでしょうが、
それでは余計に遠くまで流されてしまうだけです。
よく“取りつく島もない”と言いますが、正しくこの激流に流されている時に、
川の中洲にある木に掴まる様に、取りつく島とすべきなのは、
他の誰でもないあなた自身でしかないのです。
古代サンスクリット語ではこの島というのが“蝋燭の明かり、即ち灯明”と同音だそうです。
自らを照らす“自灯明”をしっかりと自分の心に持ちなさい。
そしてその光源を大きくする為には、先人の教えを紐解いたり、経験者の教えを請いたりして、
自分の知恵とスキルを増す為の“他灯明”(自分以外の人から照らしてもらう)
も時には必要としながら、人生の激流に流されるなかれ、
その為の島(拠り処)を自己と成せという事です。
己を島とし、頼れる自己を作る為に自分自身が一番しっかりしなさい。
難しい事の様に思えますが、誰でも出来る事なんですよ。