2025年8月
時に純粋な人の好意を間に挟んだ送り手と受け手の煩悶というのがあり、
ちょっとした事でバランスを崩したりもします。
煩悶とは、読んで字の如く、“その煩わしさに悶える”という事ですから、
もう分かりますよね。こんな話があります。
“私、ソレ得意やし、出来るよ。言うてね”と言われた。
本当に好意から言ってくれているのが分かるだけに、“いいわ”今の言い方で言えば、
“大丈夫”と断るのも何だか悪い様な気がする。
それが好意ではなく、営業チックなものならば、ソレほど気を遣うこともなく、
“ごめんね”と言えるにと悶える。
又、今必要じゃないなら、それも“その時は頼むわな”とスルーも出来るが、
現に今ソレを必要としている事もその人は知っている。
“う〜ん、どうしよう”と又、悶える。
そこで、好意という名のちょっとした煩わしさも承知の上で、
“本当に甘えてお願いしてもいいの?”と頼むと、喜んで引き受けてくれた。
だからこちらの想いや要望も含めて、ちゃんと伝えたつもりだったけど、
出来上がって来たものは色々と抜けていたり、その人の思い込みによる
ポカがあったりして・・・。とても言いにくかったけど、何度かやり直してもらった。
好意から始まった事やし、どちらにとってもイイものにしたかったから。
ところが、“その後も何でも言うてね。協力するわ”と言っていたのに、
“助かったわ。ありがとう。ややこしい事言うてゴメンね”とお礼を言うと、
“ハイ”と言ったきりその後は全然連絡も無しの“ナシのツブテ”。
“きっと気イ悪うしてるんやわ”と思うと、自分の言動に後悔しきり。
好意で始まった事だからもっとユルくして完璧を求めたらアカンかったんやと、
でももう後の祭り。勿論、実費は渡したし、その後のお礼もしようと思っていたのに、
何か宙に浮いたまま、強烈な煩悶に苛まれている。こういう状況です。
“さて、どうすれば”ですが、中々“好意”というのものは、一つ違えば厄介で難しいもの。
仮令、会いにくくても、あなたの方からちゃんと連絡をして、
もう一度ゴメンねの謝りと、お金なりのお礼をお渡ししておく事。
それで切れてしまう縁なら、もう覚悟して、それ以上追わない。
これで恨みっこなしで線を引いておきなさい。
少なくともあなたの中の相手に対しても自分に対してものどちらの✕も抜いておいて、
フラットでニュートラルな心に戻しておく事が大事ですからね。
実は相手が、親切でしてあげていると思っている事に、頼むのならば、
文句を挟んではいけないし、そういう事は決して仕事めいたことではなく、
そういう好意と親切の範囲内の事で留めておくべきなんです。
何事も学習・お勉強ですよね。