2008年 5月
何度も言っておりますが、心が楽である事、是こそが倖せである秘訣“成倖方論”であると思います。
解り易く言えば、自分の思い通りに成らなかった出来事に遭遇した時、
人は必ずと言って良い程、不平・不満や文句をたらふく言います。
この間、九州へ旅行しました。
その時に参加者の各々の思惑と違っていたオプションに、半ば強制的に参加させられたり、
又、同じバスの中にまるでクレーマーの様な参加者が居て、時間の都合で予定変更を多数決で尋ねられた時、
殆ど全員が“それやったらしょうがないな、早いことホテルに着いた方がゆっくり出来るよな”と
賛成した処、その二人だけが意固地にまるで契約不履行だとばかりに、
頑として添乗員を睨み付けて最後まで許しませんでした。
結局、旅行者もそういうクレーマーが怖いんでしょうね、
事の道理の判っている大多数の者に謝りながらも、それを呑む様に頼みました。
ひとつのバスに乗っているのに一気に雰囲気が悪くなりました。
俗に言うモンスターカスタマーです。
“KY”と言う言葉も在りますが、一切周りの状況や自分以外の者の気持ちにもお構い無しに、
待った無しの自己主張、ちょっと引きますよね。
そして、其れを呑まされた方も“たった二人の意見を尊重して、他の40人の意見は見殺しか!”と
憤って居ました。
まあ確かにそうでしょう。
でも其処でその怒りをずっと々引きずって居ては自分がしんどい。
そんなしんどい気持ちのままの旅は損ですから我慢でも辛抱でもなく、
自分の心が楽である為にまず受け入れてみました。
そして帰りの新幹線の座席で参加者の中、一組の夫婦だけが席が離れる、
それを決めるクジ引きがありました。
公平を規してという事なんでしょうが、皆口々に“そんなん嫌やな、当たったらどないしょ?!”と
嫌がって居ましたが、見事僕が引きました。
ところがショック処か可笑しくて笑ってしまいました。
この結果を“だからアカン”と採るのか、逆に“だから良かった”と採るのか、上下大きな違いです。
僕たち夫婦は言うまでも無く、
“どうせ誰かが引かなアカンねんやったら、僕らで良かったな、人さんのお役に立てたという事やな”と
“だから良かった”の方を採りました。
是は、エエ格好でも綺麗事でも無く、本当にそう思えたんですよ。
隣合わせた同じツアーの人と新幹線を降りるまで楽しくおしゃべりをしました。
まあ“そないしとき”という事だったんでしょうね。
出来る事なら腹を立てずに“だからアカン”を逆サイドから見て、
“だからヨカッタ”と心の変換が出来れば、
其れこそ自分の心が楽である“成倖方論”を手にする事が出来るんですよ。
殆どの事は考え方ひとつで出来ると思いますよ。