2017年11月
外国人にそれが無いとは言いませんが、日本人は特に気持ちや心というモノを大事にします。
前にも“真心を込める”という話をしましたが、
今回は全く同じである様に見えて微妙に違う“気と心”のお話をします。
よく“気も心”と言いますよね。
どっちが目に見えないモノで、どっちが目に見えるモノでしょうか?
例えば、よくしてもらった相手に
“コレ美味しいトマトやねん。朝採れの地元のんやから新鮮でな。皆んなで食べてな”と
お礼として渡す。
すると“いやあ、そんな気なんか遣わんとって”と大概の人は言いますよね。
それは、物(トマト)をいらんと言っているのではなく、
“私に世話になって悪いなんか思わんで良いのよ”
という、あなたの目には見えない気持ちへの返答なんです。
そして“何でよ、高いモンちゃうから恥ずかしいけど気も心って言うやない”
“いやあ、そうなん。ありがとうな、ホナもろとくわな”となります。
この場合の“心”が目に見える形となったトマトなんですね。
この様に感謝や恩義や、この関係・繋がりを大切にしているという、
相手に対しての目に見え無い配慮が、“気を遣う・気を配る”“気遣い・気配り”であり、
その延長線上の自分の納得の為にする実際目に見える形となったものが
“心遣いや心配り”となるのです。
“心ばかりの物ですが”と言いますよね。
又反対に“お気持ちだけで十分ですから”と
物は受け取らない場合があります。
旅館やホテルでチップ等、お金を渡す時も“心付け”と言い、“気付け”とは言いませんものね。
何も自画自賛ではありませんが、日本人の細やかな感性はこんな処にも表れているのです。
オリンピックを控えて、“おもてなしの心”が大切だと言われていますが、
程々の大人としての分別を持った上で、人さんに失礼をせぬ様に、
又自分に無理をせぬ様に“気と心”をスマートに使いこなす事が出来ます様に、
これも人としての修練ですよ。