2026年9月
昭和の昔は、犬の種類もそんなに多くなく、“お座敷犬”と呼ばれる
チン以外は、スピッツであろうとシェパードであろうと皆、
鎖に繋いで、外の犬小屋で飼っていました。
エサもご飯の残りに味噌汁をかけてみたいなものでした。
当然、ドッグフードなんて無く、子供達も勝手にお菓子なんてあげていましたし、
今思えば、隔世の感です。
今は、過保護?と思う程、全ての面に於いて大事にされ、この間は日傘を掛けて、
赤ちゃんの乳母車に乗せて、ソレ散歩ですか?に遭遇しました。
この様に愛犬家にとっては、決して一匹の番犬ではなく、
家族の一員・一人として過ごしています。
ですから人に比べて短い寿命は解っているものの、亡くなった時にも、人と同様の
お葬式を挙げ、それでも悲しくてペット・ロスに陥ってしまう人もいます。
この前もそんな落ち込んだ人が来ました。
“本当にあれで良かったんやろか、もっとしてやれることがあったんと違うやろか”
と自分を責めたり、“こうしたんが、ああしなかったんがアカンかったんやろか”
と後悔したり。 いいえ、もう十分ですよ。
その子を思うあなたの愛情はちゃんと届いていますし、
とても幸せだったと思いますよ。と答えました。
人も動物も生き物として生まれたからには、お釈迦様も言っていますように、
“生病老死”と言って必ず終わりが来ます。
いくらお別れしたくないと願ったとしても。
生きている内は、生命も、魂もその者の躰を器として生きています。
亡くなるという事は、その器が消滅するのです。
そして、生きる場所を変えるのです。
自分以外の、大事にしてくれた人の心の中に。
考えてご覧なさい。あなたの心の中にその子ははっきりと生きているでしょう?
亡くなったからと言って消えてしまう訳ではありませんよね。
生きる場所をあなたの中に移したその子は、
これからもあなたと共に生き続けるんですよ。
その子を置いて旅行に行けないということも無く、
あなたの行く所にいつでも一緒に行けますからね。

